全体構成案(シーン概要)
- シーン1:「不穏な朝廷――高まる緊張」
- 7世紀半ば、皇極天皇のもとで蘇我氏(蝦夷・入鹿親子)が絶大な権力を誇る。
- 中大兄皇子と中臣鎌足が密かに危機感を募らせる。
- シーン2:「決行の時――乙巳の変(いっしのへん)」
- 645年、宮中で蘇我入鹿が暗殺されるクーデター。
- 皇極天皇が譲位し、孝徳天皇が即位するまでの緊迫した場面。
- シーン3:「新しい元号――大化のはじまり」
- 孝徳天皇の即位とともに「大化」の年号が定まる。
- 中大兄皇子・中臣鎌足らによる新政権樹立の動き。
- シーン4:「公地公民制と地方行政改革」
- 大化の改新の主要な改革の内容(公地公民制など)を具体的に描写。
- 豪族からの反発や民衆の戸惑い、同時に期待も混じる様子。
- シーン5:「都の行方――難波宮へ」
- 都を飛鳥から難波(なにわ)へ移す政策。
- 新政権の理想と現実、次の時代(天智天皇・天武天皇)への布石を示唆。
登場人物紹介
- 中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)
のちの天智天皇。若く聡明で、蘇我氏の専横に危機感を抱く皇族。大化の改新の中心的存在。 - 中臣鎌足(なかとみのかまたり)
のちの藤原鎌足。中大兄皇子と盟約を結び、乙巳の変を主導するキーパーソン。 - 皇極天皇(こうぎょくてんのう)
前エピソードで即位した女性天皇。蘇我氏に政治を任せているが、蘇我入鹿暗殺を機に動揺し、退位する。 - 孝徳天皇(こうとくてんのう)
乙巳の変後に即位する天皇。中大兄皇子や鎌足らと共に新たな政治体制を築こうとする。 - 蘇我蝦夷(そがのえみし)
蘇我馬子の子で、朝廷内の実権を握る大豪族の首領。
入鹿の父。 - 蘇我入鹿(そがのいるか)
蝦夷の子。強引な手法で権勢を高めるが、乙巳の変によって暗殺され、蘇我氏の没落を招く。 - 山背大兄王(やましろのおおえのおう)
聖徳太子の子とされ、皇位継承の一角を担う存在だったが、蘇我氏と対立していた。
本作では直接的な登場は抑えめだが、背景として言及。 - 廷臣・豪族たち
蘇我氏に従ってきた者、改革派につこうとする者、それぞれの思惑が入り乱れている。 - 民衆・職人たち
飛鳥から難波への都の移転や新制度の導入に期待と困惑を抱く。改革の「受け手」として登場。
本編
シーン1.不穏な朝廷――高まる緊張
【情景描写】
西暦645年を目前にした飛鳥の宮。鮮やかな装束に身を包んだ官人が行き交うが、どこか張り詰めた空気が漂っている。皇極天皇のもと、実質的に朝廷を動かしているのは、蘇我蝦夷と蘇我入鹿の父子。華やかに見える宮廷の裏では、陰鬱な噂が飛び交う。山背大兄王に対する圧力や、他の豪族の不満が高まりつつある中、若き皇子・中大兄と中臣鎌足がひそかに言葉を交わしていた。
【会話】
- 【中大兄皇子】
(周囲をうかがいながら小声で)「鎌足、今のままでは国が蘇我氏のものになってしまう。入鹿はさらに権力を強め、皇極天皇すらも軽んじるようだ。」 - 【中臣鎌足】
(苦い表情で)「はい、私も危機を感じております。もはや、彼らを倒さねば国が乱れるのは目に見えている。しかし、失敗は許されません。周到に計画しなければ。」 - 【中大兄皇子】
「ああ……。まずは蘇我氏の心臓ともいえる入鹿を排除するしかない。だが、蝦夷の動きも見逃せぬ。皇極天皇をどう動かすか……。すべては一瞬の勝負だ。」 - 【中臣鎌足】
(静かにうなずき)「同志を集め、決行の日を定めましょう。時は、まもなく来ます……。」
シーン2.決行の時――乙巳の変(いっしのへん)
【情景描写】
645年6月12日。降りしきる雨が朝堂の屋根を叩き、薄暗い空が不吉な気配を帯びる。皇極天皇の前で儀式が行われる最中、中大兄皇子と中臣鎌足は緊迫した面持ちで機会をうかがっていた。やがて儀式がひと段落すると同時に、数名の武装した男たちが静かに近づく。そこへ蘇我入鹿が姿を現すと、緊張の糸が切れたように一瞬にして動乱が起こる。
【会話】
- 【中大兄皇子】
(決然とした表情で)「今だ、鎌足!」 - 【中臣鎌足】
「皆、行くぞ! 入鹿を討ち、国を取り戻すのだ!」
一瞬のうちに朝堂が混乱に包まれる。驚く廷臣、悲鳴を上げる女官。武器を手にした兵士たちが入鹿を取り囲む。入鹿は反撃を試みる間もなく、斬り伏せられた。
- 【蘇我入鹿】
(苦しげな声で)「なぜ……貴様ら……。我が蘇我氏こそ……この国を導くはず……。」 - 【中大兄皇子】
(目を伏せながら)「入鹿……。お前のやり方では、国が崩れてしまうのだ。申し訳ないが、ここまでだ。」
入鹿の絶命を見届けた皇極天皇は、その衝撃に耐えきれず、天皇の位を退く決意を表明する。宮廷には深い動揺が走り、同時に「これで蘇我氏の時代は終わった」という空気が広がっていく。
シーン3.新しい元号――大化のはじまり
【情景描写】
乙巳の変からほどなくして、皇極天皇は退位し、新たに即位したのが孝徳天皇である。朝廷の重臣として中大兄皇子が事実上のリーダーシップを取り、中臣鎌足がその参謀役を果たす。宮中には、まだ政変の余波が残る。蘇我蝦夷は失意のまま自邸に籠り、やがて自害したとも伝わる。その後、朝廷は一気に改革の舵を切り、「大化」の元号を定めることを発表する。
【会話】
- 【孝徳天皇】
「これより元号を『大化』といたす。国を新しくする決意の証だ。われらが成すべきは、公地公民の理想を掲げ、豪族による私的な権力の独占を正すことである。」 - 【中大兄皇子】
(深く礼をしつつ)「天皇のお考え、誠に仰せの通り。新しい国づくりのためには、まず土地と人民を国家のもとに統制し、中央集権を進めねばなりません。」 - 【中臣鎌足】
「これまでのように豪族が勝手に領地を広げ、民を支配することを許せば、再び蘇我氏のような専横を生み出すだけです。新しい時代を開くための礎として、大化という名を刻みましょう。」 - 【孝徳天皇】
(静かに頷き)「うむ。蘇我氏の力が弱まった今こそ、変革の好機。朝廷も一枚岩となって、国の仕組みを作り変えていこう。」
シーン4.公地公民制と地方行政改革
【情景描写】
宮廷内の広間では、多くの豪族や官人が召集され、新政策が次々と布告されていく。その中心には中大兄皇子と鎌足。孝徳天皇もそこに加わり、新体制への期待を語る。公地公民制とは、土地と人民をすべて国家の所有とみなし、豪族が私的に所有していたものを改めて一元管理する制度。地方行政改革では、地方豪族の権限を削ぎ、中央から官人を派遣し、戸籍を整備することで税や兵役を確実に徴収しようとする試みが進められる。
【会話】
- 【中大兄皇子】
「豪族による私有地・私有民は禁じ、これらを公(おおやけ)のものとする。いわゆる公地公民制だ。この法を徹底すれば、人も土地も国家が一括管理できる。」 - 【豪族A】
(戸惑った様子で)「しかし、我が一族は代々この土地を守ってきました。それを突然“公”のものだと言われましても……。」 - 【中臣鎌足】
「お気持ちはわかりますが、国全体の制度を整えるためです。むしろ、これからは大王(天皇)のもとで公正な扱いを受けられるでしょう。必要以上の負担はないよう配慮します。」 - 【豪族B】
「地位や財産が保障されるなら、私どもも協力いたします。しかし、戸籍の整備や税の徴収は大変な労力を要しますぞ。」 - 【孝徳天皇】
(柔らかい口調で)「承知しています。だからこそ、地方の行政区分を再編するのです。国司・郡司(こくし・ぐんじ)などを派遣し、戸籍の管理を徹底する。民を苦しめるのではなく、必要な税を公平に徴収して国を富ませるのが狙いです。」 - 【中大兄皇子】
(力強く)「これは、国を一つにまとめるための大事業だ。君たち豪族も、新体制のもとで役職を得て国のために働けば、その功績は正当に評価されよう。」 - 【豪族A】
(ほっとしたように)「……わかりました。国の未来のためなら、我らも協力を惜しみません。」
シーン5.都の行方――難波宮へ
【情景描写】
大化の改新が進み始める中、孝徳天皇や中大兄皇子らは、飛鳥から難波(現在の大阪市付近)へ都を移すことを決める。難波の地は海に近く、外交や物資の輸送にも便利だと考えられた。夕暮れの飛鳥の宮。人々は都の移転を前に、荷物をまとめ、船や荷車に詰め込んでいる。宮殿内の柱や壁にも撤収の気配が漂う。長く続いた「飛鳥の時代」は、一つの区切りを迎えようとしていた。
【会話】
- 【孝徳天皇】
「難波は交通の要衝(ようしょう)。大陸との交流にも適した地だ。新しい国づくりには相応しい場所と思える。」 - 【中大兄皇子】
「はい。飛鳥に未練はありますが、これも国のため。都が動けば、新制度の浸透も早まりましょう。」 - 【中臣鎌足】
(宮廷の柱を見つめつつ)「ここで起こった乙巳の変は、まさに歴史の大転換点でした。蘇我氏の時代が終わり、新たな政権が生まれた。その記憶は消えませんが、都を移すことで人々の意識も変わるはずです。」 - 【豪族たち】
(やや混乱しながら)「都の移転か……。大勢の民や職人が動くことになる。負担も大きいが、これも新しい時代のためか……。」 - 【中大兄皇子】
「すべてが順風満帆とはいかぬだろう。だが、民が安心して暮らせる国家を目指す――その志は変わらない。やがて、この道が次の世代へと続く橋渡しになるはずだ。」
こうして、一行は難波へ向かう。新たな都での改革がどこまで実を結ぶかは、まだ誰にもわからない。しかし、大化の改新と都の移転は、明らかに日本の政治・社会を大きく変えようとしていた。
あとがき
エピソード4では、大化の改新と呼ばれる歴史的な大改革を中心に描きました。
- 乙巳の変(いっしのへん)で蘇我入鹿が暗殺され、長く続いた蘇我氏の専横が終わりを迎えます。
- 新たに即位した孝徳天皇のもとで、中大兄皇子(のちの天智天皇)や中臣鎌足(のちの藤原鎌足)らが国の仕組みを根本から改革しようとしました。
- 公地公民制や地方行政改革は、豪族による私的支配を制限し、中央集権国家を目指す大きな一歩です。
- 都を飛鳥から難波へ移すことも、政治や対外関係の活性化を狙った重要な施策でした。
もっとも、改革は簡単に進んだわけではありません。豪族の抵抗や民衆の負担など、多くの課題を抱えつつ進行しました。次のエピソード(エピソード5)では、その後の王位継承をめぐる大きな内乱――壬申の乱が起こり、さらに日本史が激動の時代を迎えることとなります。どうぞ引き続き、飛鳥から奈良へと続く歴史の流れに目を凝らしてください。
用語集(歴史を学ぶうえで重要な用語の解説)
- 乙巳の変(いっしのへん)
645年に起こった政変。中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我入鹿を暗殺し、蘇我氏を滅ぼした。 - 中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)
のちの天智天皇(在位: 668年~671年)。大化の改新を主導し、のちに近江大津宮へ遷都するなど、改革に尽力。 - 中臣鎌足(なかとみのかまたり)
のちの藤原鎌足。中大兄皇子と協力し、乙巳の変や大化の改新に大きく貢献。藤原氏の始祖。 - 孝徳天皇(こうとくてんのう)
乙巳の変後に即位した天皇(在位: 645年~654年)。大化の改新の中心として諸改革を進めたが、のちに中大兄皇子と微妙な距離が生まれたとも言われる。 - 公地公民制(こうちこうみんせい)
大化の改新で掲げられた改革の柱。土地と人民を国家の管理下に置き、豪族の私有を禁止しようとした制度。 - 難波宮(なにわのみや)
孝徳天皇の時代に都が移された場所。大阪湾に近く、外交や貿易を発展させる拠点として期待された。 - 元号「大化」
日本で初めて定められた元号。645年~650年まで使用され、中央集権的な新体制をアピールする意味合いがあった。
参考資料
- 『日本書紀』(にほんしょき)皇極天皇期・孝徳天皇期
- 中学校歴史教科書(東京書籍・帝国書院など)「大化の改新」該当章
- 『藤原鎌足伝』『続日本紀』一部参照
- 奈良文化財研究所の調査報告書(難波宮跡・飛鳥宮跡など)
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