【Ep.5】壬申の乱――王権をめぐる激動

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全体構成案(シーン概要)

  1. シーン1:「天智天皇の最期――不安な王位継承」
    • 天智天皇(中大兄皇子)の晩年(668~671年)。
    • 後継者として有力視される大友皇子と大海人皇子(天智天皇の子・弟)の対立がほのめかされる。
  2. シーン2:「動き出す内乱――大海人皇子の出家と挙兵」
    • 天智天皇の死後、王位を大友皇子に譲る流れが決まるかに見えるが、大海人皇子は出家を装い吉野へ下る。
    • 吉野で挙兵を決意するシーン。
  3. シーン3:「各地を巻き込む戦い――王権をめぐる争奪戦」
    • 672年、近江(おうみ)の大津宮を拠点とする大友皇子派と、吉野の大海人皇子派の激突。
    • 倉梯川(くらはしがわ)や瀬田(せた)の橋など、各地での戦いの様子。
  4. シーン4:「逆転の勝利――大海人皇子の即位へ」
    • 大友皇子側が劣勢に陥り、ついに敗走。大友皇子の最期。
    • 大海人皇子が飛鳥に入り、天武天皇として即位するまでの流れ。
  5. シーン5:「天武天皇の治世――壬申の乱の後始末」
    • 大海人皇子(天武天皇)が新体制を整備し、王権を強化していく様子。
    • 律令制への道筋が固まっていく状況を示唆し、次回(エピソード6)への架け橋とする。

登場人物紹介

  • 天智天皇(てんじてんのう)
    大化の改新を主導した中大兄皇子が即位した姿。668~671年まで在位し、近江大津宮(現在の滋賀県大津市)に都を置いた。
  • 大友皇子(おおとものおうじ)
    天智天皇の子。父の存命中から後継者と目されるが、大海人皇子との間で王位継承をめぐる火種を抱える。壬申の乱では大津宮を拠点に戦う。
  • 大海人皇子(おおあまのおうじ)
    天智天皇の弟。後に天武天皇として即位。天智天皇の死後、吉野へ赴き、挙兵して王位を争う。
  • 中臣鎌足(なかとみのかまたり)
    藤原鎌足のこと。天智天皇(中大兄皇子)の盟友だったが、壬申の乱前に病没(669年)。直接の登場は控えめだが、遺された藤原一族を通してその影響力が示唆される。
  • 豪族・地方豪族たち
    大友皇子派・大海人皇子派に分かれて参戦し、各地の兵力を動かす。誰に味方するかで戦況が大きく変わる。
  • 宮廷の女官アヤ(架空)
    (前エピソードからの継続キャラクター)宮廷内の噂や情勢を、読者に伝える案内役。
  • 民衆・兵士たち
    農民や雑役従事者、兵士として動員される者たち。壬申の乱に翻弄されながらも、生き抜くために必死に従軍する姿を描く。

本編

シーン1.天智天皇の最期――不安な王位継承

【情景描写】
西暦671年、近江大津宮(おうみのおおつのみや)。美しい琵琶湖のほとりに築かれた都は、まだ新しく整然としている。しかし、天智天皇(中大兄皇子)の病が重くなるにつれ、宮中には一種の緊張が漂っていた。その寝所(しんしょ)には扇風(うちわ)で風を送る女官、薬を調合する典薬寮(てんやくりょう)の役人たち。天智天皇は横になりながら、衰弱した面持ちで大友皇子を呼び寄せている。

【会話】

  • 【天智天皇】
    (弱々しい声で)「大友……我が息子よ。私はもう長くはあるまい。お前にこの国を託したい。……大海人(おおあま)のことは気にするな。私はすでにお前を後継に決めている。」
  • 【大友皇子】
    (膝をついて)「父上、そんな弱気をおっしゃらないでください。まだご快復の望みは――。」
  • 【天智天皇】
    「よい……。私は……ここまでだ。中臣鎌足も既にこの世を去り、朝廷をまとめるのはお前しかいない。……ただし、大海人にはくれぐれも気をつけよ。あやつは……。」
  • 【大友皇子】
    (不安げに)「はい……。大海人皇子は父上の弟君。私が敵視することなど――。」
  • 【天智天皇】
    (苦しそうに一度咳き込み)「うむ……だが、あやつには……人望がある。決して油断するな……。」

天智天皇はそう言い残し、浅い呼吸を繰り返す。大友皇子の表情は曇っていた。王位継承への不安と大海人皇子への対立の予感が、宮中を覆っている。


シーン2.動き出す内乱――大海人皇子の出家と挙兵

【情景描写】
天智天皇はやがて崩御し(671年12月)、都では大友皇子が皇位継承者と目される。だがその矢先、大海人皇子は突然「出家(しゅっけ)して、吉野へ下る」と言い出す。吉野(現在の奈良県南部)は山深い地。皇族や貴人が隠棲(いんせい)する場所としても知られたが、軍事的な拠点としても利用できることを大海人皇子は見抜いていた。

【会話】

  • 【大海人皇子】
    (吉野行きの馬車を前に、数人の従者に向けて)「天智天皇が亡くなられた今、私が宮中にいれば、大友皇子との確執は避けられない。私は仏門に入る。争いを捨てるためにな……。」
  • 【従者A】
    (慌てた口調で)「殿下、本当に出家されるのですか? しかし、それでは朝廷に対して無防備すぎます!」
  • 【大海人皇子】
    (小さく笑い)「表向きはな……。私も争いを望むわけではないが、もし大友皇子が私を排除しようとすれば、命を失うだけ。先んじて吉野へ行き、そこで態勢を整えるのだ。」
  • 【従者A】
    「殿下……。つまり、そこから挙兵を……?」
  • 【大海人皇子】
    (落ち着いた口調で)「まだ先の話だ。しかし、いざというときに備えねばならぬ。大友皇子が父上の遺志を継ぎ、我が身に危害を加えないならそれが何より。だが、そうでなければ……。」

そう言い残し、馬車に乗り込む大海人皇子。その目には、吉野の地での決起をすでに固めているような鋭い光が宿っていた。


シーン3.各地を巻き込む戦い――王権をめぐる争奪戦

【情景描写】
時は672年、壬申(じんしん)の年。吉野で挙兵を決意した大海人皇子のもとには、次々と地方豪族が集まり、兵が増強されていく。一方、近江大津宮を本拠とする大友皇子も、全国の豪族に味方を求め、軍備を整える。戦火は各地に飛び火し、主要な攻防地点として瀬田(せた)の橋や、倉梯川(くらはしがわ)周辺が歴史に残る激戦区となる。荒れ狂う夏の熱気のなか、兵士たちは自分の生き残りと大王(天皇)に対する忠誠をかけて戦う。

【会話】

  • 【豪族B(大海人皇子側)】
    「殿下、近江方の兵が瀬田の唐橋を抑えに向かったと聞きます! ここを落とせば大津宮へ進軍が容易になるとか……。」
  • 【大海人皇子】
    「うむ。瀬田の橋は近江国への要衝。橋を押さえなければ、我らが大津宮へ攻め入るのは難しい。ここは我が軍の精鋭を送ろう。」
  • 【兵士C】
    (緊張を噛み締めて)「たとえ命を落としても、殿下のために戦います……。」
  • 【一方・大友皇子のもと】
  • 【大友皇子】
    (焦燥の表情で)「まさか大海人皇子がこれほど早く行動を起こすとは……。我らは父上の遺志を継いでいるのに、なぜ皆そちらへつくのだ!」
  • 【豪族D(大友皇子側)】
    「彼は地元豪族との結びつきが強いのです。仏門に入ったと偽って挙兵するなど、大胆な策を講じたのが功を奏したのでしょう。だが、我らも瀬田を守り抜けば勝機はあります!」
  • 【大友皇子】
    (拳を握りしめ)「……ならば、一人でも多くの兵を瀬田へ向かわせろ。宮城(きゅうじょう)を死守し、奴らを近江へ寄せつけるな!」

こうして、近江勢と吉野勢の激突は本格化。お互いに勝敗がつかず、一進一退の攻防が続く。小競り合いの中、民家や田畑にも被害が及び、多くの民衆が難を逃れるために山中へと避難していった。


シーン4.逆転の勝利――大海人皇子の即位へ

【情景描写】
夏も深まる頃、倉梯川(くらはしがわ)付近の戦いを制したのは大海人皇子の軍勢だった。さらに瀬田の橋でも大友皇子側の守りが崩され、近江大津宮への道が開かれる。大津宮では、敗報が相次ぎ伝わり、大友皇子の配下に動揺が広がる。やがて主だった豪族たちが降伏を始めると、大友皇子はもはや打つ手もなく、最期を遂げることになる。

【会話】

  • 【大友皇子】
    (青ざめた顔で)「皆、逃げるがよい……。私にはもう道がない。大海人皇子のもとへ行くがいい……。」
  • 【家臣E】
    (うつむきながら)「皇子様、なぜこんなことに……。我らも最後まで戦いたい気持ちはありますが、兵も心も尽き果てました……。」
  • 【大友皇子】
    「もはやこれまで。私の運命はここまでだ……。」
    (最期の言葉を静かにつぶやき、自害する。)

こうして大友皇子は自ら命を絶ち、壬申の乱は大海人皇子の勝利に終わる。大海人皇子は勢いそのままに近江大津宮を占領し、朝廷の実権を完全に掌握。やがて飛鳥へ凱旋(がいせん)する。


シーン5.天武天皇の治世――壬申の乱の後始末

【情景描写】
壬申の乱に勝利した大海人皇子は、飛鳥の地に戻り、天武天皇として即位する(673年)。新しい都として「飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)」を整備し、王権をさらに強化するための施策を進めていく。寺院の鐘が鳴り響く中、焼け跡の兵器や落ちている旗が、わずか前までの激戦を物語る。宮殿では廷臣たちが新天皇を祝福しつつ、同時にその強大な権力に畏敬の念を抱いていた。

【会話】

  • 【天武天皇(大海人皇子)】
    (玉座に座り、低い声で)「この乱によって、多くの人命と大地が傷ついた。だが、これも乱を起こした大友皇子と、天智天皇の王位継承が明確でなかったからだ……。今後はわが王権を盤石(ばんじゃく)にし、再び争いのない国を築いてゆく。」
  • 【廷臣F】
    「陛下の仰せの通り、強い王権こそ国を治める要。朝廷の組織を見直し、戸籍や役所の制度をさらに整備しては如何でしょう。」
  • 【天武天皇】
    「うむ。豪族の力を削ぎ、わが天皇の権力を中心に国家をまとめるのだ。後には律令(りつりょう)を整える準備も必要となろう。私の后(きさき)である皇后も協力を惜しまぬはず……。」
  • 【廷臣F】
    (敬礼しながら)「はい。持統天皇(じとうてんのう)ともなられる方ですね。陛下が示される新体制の構築、全力でお手伝いいたします。」

こうして、大海人皇子は天武天皇として即位し、壬申の乱は終結を迎えた。しかし、その代償は大きく、多くの貴族や民衆が乱で命を落とした。また、勝利後の粛清(しゅくせい)や豪族の再編が進められ、権力の在り方は大きく変容していく。
この乱を経て、天武天皇は律令国家への道をさらに踏み固め、後に持統天皇が藤原京を造営していく流れにつながる。日本の王権は、これを機に大きな統一へと向かって動き出すのだった。


あとがき

エピソード5では、壬申の乱(672年)を中心に、飛鳥時代後期の王位継承をめぐる激しい内戦とその結末を描きました。

  • 壬申の乱は、天智天皇の子・大友皇子と、弟・大海人皇子との間で勃発した、日本史上でも大規模な内乱です。
  • もともと中大兄皇子(天智天皇)が大化の改新後に権力を確立した一方で、その後継問題は不透明な部分が多く、兄弟間の火種がくすぶり続けていました。
  • 乱に勝利した大海人皇子(天武天皇)は、さらに王権を強化し、律令制へ向けて国家の仕組みを整備していきます。

次回(エピソード6)では、天武・持統朝における体制整備や藤原京の造営といった改革が進み、やがて奈良時代へと移行していく流れを描く予定です。内乱を経て生まれ変わった王権が、どのように日本国家を形作っていくのか――ぜひ続きもお楽しみに。


用語集(歴史を学ぶうえで重要な用語の解説)

  1. 天智天皇(てんじてんのう)
    中大兄皇子が668年に即位した姿。大化の改新を主導し、近江大津宮に都を置く。671年に崩御。
  2. 大友皇子(おおとものおうじ)
    天智天皇の子。父の死後、後継者として即位(弘文天皇とも)。壬申の乱に敗れ、自害に追い込まれる。
  3. 大海人皇子(おおあまのおうじ)
    天智天皇の弟。壬申の乱で勝利し、673年に即位して天武天皇(てんむてんのう)となる。
  4. 壬申の乱(じんしんのらん)
    672年、王位継承をめぐって起こった大規模な内戦。大海人皇子が大友皇子を倒し、天武天皇として即位。
  5. 吉野(よしの)
    奈良県南部の山岳地帯。離宮や隠棲場所として利用されたが、軍事的にも要所となり、大海人皇子の挙兵拠点となる。
  6. 近江大津宮(おうみのおおつのみや)
    滋賀県大津市周辺にあった都。天智天皇が移したが、壬申の乱で大友皇子が敗北すると、短期間で歴史の舞台から退いた。
  7. 天武天皇(てんむてんのう)
    壬申の乱の勝者となった大海人皇子の即位名。中央集権体制の強化と律令制度の整備に取り組み、後に持統天皇へと権力を継承した。
  8. 律令制(りつりょうせい)
    法律(律)と行政組織の規則(令)を柱とする国家体制。天武・持統天皇期から奈良時代にかけて整備され、日本の統治の根幹となった。

参考資料

  • 『日本書紀』(にほんしょき)天智天皇期・天武天皇期
  • 『続日本紀』(そくにほんぎ)冒頭部分
  • 中学校歴史教科書(東京書籍・帝国書院など)「壬申の乱」該当章
  • 奈良文化財研究所による飛鳥・吉野・大津周辺の発掘調査報告書

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