【Ep.4】明治憲法と国会開設

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全体構成案(シーン概要)

  1. シーン1:「国会開設の勅諭(ちょくゆ)と世論の動き」
    • 時代背景:1881年(明治14年)~1883年頃
    • 主な登場人物:健太、父、在野の民権家、伊藤博文(言及)
    • 内容:政府が「10年後に国会を開設する」という勅諭を出す。自由民権運動によって国会への期待が高まる一方、政府の思惑や国内の混乱も描写する。
  2. シーン2:「伊藤博文の欧州憲法調査」
    • 時代背景:1882年~1883年頃
    • 主な登場人物:伊藤博文、大隈重信(言及)、海外の法学者(架空で会話の一部)、健太(新聞を通じて知る立場)
    • 内容:伊藤博文が欧州に渡り、プロイセン憲法などを参考にしながら、立憲制のモデルを模索する様子。国内では健太たちが「憲法って何だ?」と戸惑いながらも興味を抱く。
  3. シーン3:「明治憲法の制定と発布式」
    • 時代背景:1889年(明治22年)2月11日前後
    • 主な登場人物:明治天皇、伊藤博文、大日本帝国憲法起草メンバー、健太、父
    • 内容:大日本帝国憲法の発布式。当日の緊張感や儀式の様子、国民の歓声と期待を描く。
  4. シーン4:「初めての帝国議会と民権家たちの思惑」
    • 時代背景:1890年(明治23年)~
    • 主な登場人物:健太、父、板垣退助や大隈重信(議会に参加する政治家)、一般庶民
    • 内容:第一回帝国議会が開かれ、政府と民党の間で激しい論戦が行われる。健太たち庶民が政治により関心を持ち始める様子を描く。
    • エピローグでは憲法施行後の課題や、今後の日本社会の見通しを示唆。

登場人物紹介

  • 健太(けんた)
    エピソード1~3に続いて登場。20歳前後となり、東京で小商いを営む父を手伝いながら、自分自身の将来や社会との関わり方を模索している。
  • 健太の父
    元浪人で商人。激動の時代をある程度客観的に見ているが、息子の健太が政治や社会に興味を持ち始めたことを温かく見守っている。
  • 伊藤博文(いとう・ひろぶみ)
    長州出身。憲法制定の中心人物として、欧州各国の制度を調査し、明治政府の立憲化を推進。後に初代内閣総理大臣となる。
  • 大隈重信(おおくま・しげのぶ)
    佐賀出身。立憲改進党のリーダー的存在で、早稲田大学の創設者。政府内でも要職を務めつつ、国会開設論をめぐり伊藤博文と対立する場面も。
  • 板垣退助(いたがき・たいすけ)
    自由党(旧・自由民権運動の中心)を率いる政治家。国会開設後、民党側を代表する人物として政府と対峙する。
  • 明治天皇
    近代日本の象徴的存在。1889年の大日本帝国憲法発布式では、天皇大権を含む新たな政治体制の中心に位置づけられる。
  • 在野の民権家・新聞記者(架空キャラクター)
    自由民権運動に引き続き関わる人物として登場。演説会や新聞記事を通じて国民に情報を広め、健太とも交流がある。

本編

シーン1.国会開設の勅諭と世論の動き

【情景描写】
明治14年(1881年)の秋。東京の町は紅葉が色づき始め、朝夕の風にやや寒さを感じる季節。街頭には「明治十四年の政変」と呼ばれる政治的事件や、新たな政党の結成などの噂が飛び交っている。

そんな中、明治政府は「10年後に国会を開設する」という勅諭を発表した。その知らせは瞬く間に新聞や瓦版(かわらばん)で報じられ、自由民権運動の人々に大きな反響を巻き起こす。

【会話】

  • 【健太】
    「(新聞を読んで)父ちゃん、これ見た? 政府が『国会を開く』って宣言したらしいよ。10年後って、ずいぶん先だけど……。」
  • 【健太の父】
    「ああ、噂には聞いてる。だけど、10年後ってことは、政府はまだまだ自分たちのペースで進めたいってことだろう。民権派は今すぐにでも国会を開いてほしいだろうしなあ。」
  • 【在野の民権家(新聞記者)】
    「(通りを歩きながら)10年なんて待ってられない。欧米に追いつくためにも、もっと早く憲法を制定して、国会を開くべきだ。板垣さんや大隈さんも、そのために動いている。健太くんもどうだ、演説会を見に来ないか?」
  • 【健太】
    「(はっとして)え……。前に演説会に行ったことはあるけど、こんなに国政が動きそうなとき、確かに現場を見てみたい。俺も勉強してみようかな。」

民権運動の高まりを受け、政府は国会開設を約束したものの、まだまだ先延ばしの感は否めない。人々の間には期待と苛立ちが入り混じる空気が漂っていた。


シーン2.伊藤博文の欧州憲法調査

【情景描写】
勅諭を発表した政府内部では、憲法の起草をどう進めるかの議論が本格化する。中心人物となったのは伊藤博文。彼は明治15年(1882年)にヨーロッパに渡り、ドイツ(プロイセン)を中心に憲法制度を学んでいた。一方、東京では、その情報が新聞報道で少しずつ伝わってくる。健太は在野の民権家や父とともに新聞を読んだり噂話を聞いたりしながら、立憲主義というものをぼんやりとイメージし始める。

【会話】

  • 【健太】
    「父ちゃん、この新聞によると『伊藤博文はプロイセンのビスマルクが築いた政治体制を研究している』って書いてある。プロイセン憲法が手本になるとか……。でも“憲法”ってそもそも何なんだろう?」
  • 【健太の父】
    「俺もはっきりとは分からんが、国の形を定める“根本ルール”みたいなものらしいぞ。天皇の力や政府の仕組み、国民の権利なんかが書かれるとか……。」
  • 【在野の民権家(新聞記者)】
    「伊藤伯(はく)は欧州で憲法起草を学んでいるが、その一方で国内の言論弾圧はまだ続いている。要するに政府は、上から管理できる形式の“立憲制”を作ろうとしているんだろう。俺たちは国民の自由と権利をもっと強く保証する憲法を望んでいるのに……。」
  • 【健太】
    「欧米の真似をするだけじゃ、日本に合った政治にはならないってことですか?」
  • 【在野の民権家】
    「そういうことだ。いろんな国の制度を学ぶのは大事だが、国民を中心とした憲法になるかどうかが問題さ。伊藤伯の帰国後、どう話が進むか注目だな。」

ヨーロッパの先進的な政治制度を取り入れようとする動き。それを上からの主導で進めようとする政府。
民権家たちはそんな政府の姿勢に警戒しつつも、憲法という響きに「日本が本当の近代国家になるかもしれない」という期待を寄せ始めていた。


シーン3.明治憲法の制定と発布式

【情景描写】
時は流れて明治22年(1889年)2月11日。東京の宮中(きゅうちゅう)では、ついに大日本帝国憲法の発布式が行われようとしていた。皇居前広場には多くの国民が集まり、その瞬間を今か今かと待っている。旗を振る人、万歳三唱を準備する人、緊張と期待が入り混じったざわめきが周囲を包む。健太は父とともに、遠巻きにその儀式を見物していた。近くには新聞記者がちらほらと詰めかけている。

【会話】

  • 【健太】
    「(大勢の人混みを見渡しながら)すごい人だね……。まるでお祭りみたいだ。」
  • 【健太の父】
    「そうだな。これだけ大勢が集まるってことは、みんな憲法ってやつに期待してるのかもしれない。国民が政治に参加できる時代になると信じたいね。」

やがて、宮中の奥からラッパや太鼓の音が高らかに鳴り、明治天皇が登場する気配が広場に伝わる。その後、伊藤博文ら政府要人の名が読み上げられ、厳かな雰囲気の中で憲法発布式が進行する。式典の終了とともに、轟くような「万歳!」の歓声が広場を満たした。

  • 【人々(歓声)】
    「バンザイ! バンザイ!」「大日本帝国万歳!」「明治万歳!」
  • 【健太】
    「(圧倒されながら)……これで本当に国民の声が政治に届くようになるのかな?」
  • 【健太の父】
    「どうだろうな。新聞によると、この憲法には“天皇大権”とか“臣民の権利”とか、まだいろいろ制限も多いらしい。だけど、一歩前進したのは間違いないだろう。」
  • 【在野の民権家(近くでつぶやく)】
    「(複雑そうに)天皇主権の憲法だが、それでも国会を開く道は確保された。今度は立法の場でどう戦うか。民権運動にとって、これからが正念場だよ。」

こうして大日本帝国憲法は発布され、日本は名実ともに「立憲国家」への道を踏み出した。だが、その実態はまだ政府主導の色彩が強く、欧米のような完全な民主主義とはほど遠かった。


シーン4.初めての帝国議会と民権家たちの思惑

【情景描写】
翌年の明治23年(1890年)、ついに第一回帝国議会が開かれる。国会議事堂はまだ仮の建物ではあるが、議員たちが集まり、政府の政策に対して審議を行うという光景は、かつての日本では想像もできなかったものだ。

健太は友人に誘われて議会開会の日の様子を見に行く。赤レンガ風の建物周辺は、洋装の議員や軍人などが行き交い、メディアの注目も集まっている。

【会話】

  • 【健太】
    「(議事堂の外を見上げて)これが帝国議会か……。やっと始まるんだな。板垣さんや大隈さんも議員として入るって聞いたけど、どんな議論になるのかな。」
  • 【友人(町の若者)】
    「自由党(民党)と政府側の争いが激しいらしいぜ。軍事費や国の予算をどう使うかとか、税金の問題で大いに揉めるって話だ。」
  • 【在野の民権家(新聞記者)】
    「政府には山県有朋(やまがた・ありとも)や松方正義(まつかた・まさよし)といった“元老”連中がいて、民党と対立必至だ。演説合戦は迫力あるだろうな。」

議事堂の外では弁士が新聞記者に囲まれてコメントを求められ、一般人もそれを聞き耳を立てる。健太も人ごみに混じりながら、新たな政治の幕開けに胸を高鳴らせる。

やがて、議会が始まり議員たちの熱い討論の声が外まで漏れ伝わってくる。人々は息を呑んでその様子をうかがい、次第に「私たちの声はどこまで届くのか?」と期待と不安を入り混ぜて見守る。


エピローグ:「立憲国家への船出」

大日本帝国憲法の発布と第一回帝国議会の開会は、近代日本の大きな転換点となった。政府と民党のせめぎ合いは激しく、民権運動が理想とした「国民の政治参加」がどこまで実現されるかは未知数だ。
しかし、ここに至るまでの道のりを振り返れば、江戸幕府の崩壊から明治政府の樹立、そして自由民権運動と多くの試行錯誤があったことを思い起こさせる。

健太は国会周辺の熱気を肌で感じながら、自分もいつか政治に関わる仕事をしてみたいと、かすかな夢を抱き始めていた。立憲国家への船出は、まだ始まったばかり――。


あとがき

本作(エピソード4)は、明治憲法の制定と国会開設を中心に描きました。

  • 1889年に大日本帝国憲法が発布され、翌年には第一回帝国議会が開かれます。ここに至るまでには、自由民権運動の高まりや伊藤博文らによる欧州憲法の調査、政府内での激しい議論など、さまざまなドラマがありました。
  • 明治政府は「天皇主権」の憲法を採用しましたが、それでも国会を開くことで政治に参加できる道が開かれたことは大きな前進でした。
  • この時代、人々は初めて“憲法”“議会”といった仕組みに触れ、「自分たちの暮らしや権利を守るにはどうすればいいか?」という問題意識が徐々に広がっていきます。

当時の人々がどのような期待や不安を抱きながら新しい政治体制を迎えたのか、想像していただきたいと思います。次回は対外戦争の時代(日清戦争・日露戦争)へと突入し、さらに日本社会が大きく動揺していく様子を描きます。


用語集(歴史を学ぶうえで重要な用語の解説)

  • 国会開設の勅諭(ちょくゆ)
    1881年(明治14年)に明治天皇が出した詔(みことのり)の一つ。政府が10年後に国会を開設することを約束した。自由民権運動の高まりを受けての宣言だった。
  • 伊藤博文(いとう・ひろぶみ)
    長州藩出身の政治家。明治政府の中心として活躍し、大日本帝国憲法の起草・制定に大きく貢献。日本初の内閣総理大臣となる。
  • 大日本帝国憲法(だいにほんていこくけんぽう)
    1889年に発布された日本の近代憲法。天皇が国の主権を持つ“天皇主権”の立憲体制を定めた。国民の権利や義務も規定されたが、制限も多かった。
  • 天皇大権(てんのうたいけん)
    明治憲法下で天皇が持つとされた大きな権限。軍の統帥権(とうすいけん)や立法・行政・司法における最終的な権限などが含まれる。
  • 第一回帝国議会(だいいっかいていこくぎかい)
    1890年に開催された日本初の近代的議会。衆議院と貴族院(後の貴族院は参議院の前身とはやや異なるが)が開設され、政府と民党の激しい対立が繰り広げられた。
  • 民党(みんとう)
    自由民権運動の流れをくむ政党。自由党や立憲改進党などが中心で、政府(吏党)と対立し、国民の権利拡大や政府の政策への批判を展開した。

参考資料

  • 中学校歴史教科書(各社)「明治憲法と国会開設」
  • 伊藤博文『憲法義解』
  • 大隈重信や板垣退助の演説・著作(演説録など)
  • 近代日本政治史研究(法学部系統の論文・解説書)

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