【Ep.6】成長の光と影――公害と若者文化の交差点――

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全体構成案(シーン概要)

  1. シーン1:「経済成長の陰に忍び寄る公害」
    • 1960年代後半、日本の高度経済成長はピークを迎える一方、四大公害病(イタイイタイ病、水俣病、四日市ぜんそく、新潟水俣病)などが深刻化し始める。地元の工場排水問題や大気汚染が杉山一家の周囲でも話題に上り、経済的豊かさの裏にある環境破壊に不安を抱く。
  2. シーン2:「学生運動と若者文化の台頭」
    • 1960年代後半から1970年代初頭にかけて、大学生を中心とする学生運動が活発化。「ベトナム反戦運動」「安保闘争」など、国際情勢や社会問題に敏感になった若者たちが声を上げる。ロックやフォークソングといった新しい音楽文化も芽生え、拓郎をはじめ若者たちの意識が変化していく。
  3. シーン3:「変わりゆく社会への目覚め」
    • 公害反対運動や学生運動が社会に影響を及ぼし始め、公害対策や公害防止法の制定など国の動きも変わる。若者だけでなく大人たちも「このままの経済成長だけではいけないのでは」と気づき始める。杉山一家と街の人々が、新たな価値観を模索する様子を描いて締めくくる。
  4. エピローグ(短いまとめ)
    • 高度経済成長期の「負の側面」が明るみに出た時代の到来と、社会変革への胎動を示唆して終える。次のエピソード(オイルショック~安定成長期)へのつながりを暗示。

登場人物紹介

  • 杉山商店一家
    • 杉山 武蔵(すぎやま むさし):60代前半。高度経済成長の恩恵を受けて商店経営が安定する一方、環境や社会運動の話題には戸惑いを覚える。
    • 杉山 里江(さとえ):50代。家計や近所づきあいの中で、「公害」や「社会運動」といった新しい問題を実感。女性同士の勉強会などに参加し、時代の変化を学び始める。
    • 杉山 拓郎(たくろう):30代前半。若者文化や音楽に強い興味を持ち、学生運動に参加している友人から話を聞いたりする。自身も「社会への責任」「新しい価値観」を模索中。
  • 三田村 銀之助(みたむら ぎんのすけ):40代後半。銀行員として高度経済成長を支える立場だが、公害や社会不安の増大を感じ始める。企業の利益と環境保全の両立に頭を悩ませる。
  • フランク・ジョンソン(アメリカ人):日本に駐在する民間企業社員。海外ではベトナム戦争への反対運動が拡大していると話し、日本の若者との意識の違いを感じるが、交流を通じて意見を交わす。
  • 近所の人々、街の住民:公害問題、若者文化の波に戸惑いながらも、日々の暮らしを送る。新しいテレビ番組や音楽、ファッションに興味を持つ若者と、保守的な大人世代との対立もちらほら。

本編

シーン1.経済成長の陰に忍び寄る公害

【情景描写】
1960年代後半、東京の下町。商店街にはネオン看板や広告が増え、街の空気は賑やかで活気にあふれている。杉山商店の陳列棚にも、工場で大量生産された新商品やパッケージが派手な食品が並び、「モノが豊富な時代」を象徴していた。

しかし、一歩外へ出ると、大気汚染と思われる煙や、川に漂うゴミなど、環境の変化が目につくようになっている。

【会話】

  • 【武蔵】「(店先で深呼吸しようとするが、むせる)うっ……最近、排気ガスが増えたな。車の台数が一気に増えた影響か……。なんだか空気が霞んで見えるぞ。」
  • 【里江】「(心配そうに)この前、テレビで『四日市ぜんそく』の話をしていたわ。工場が排煙を垂れ流して、近所の子供たちが苦しんでるって……。私たちも気をつけたほうがいいのかしら。」
  • 【拓郎】「(雑誌を広げながら)水俣病やイタイイタイ病の被害者の記事も出始めてる。経済成長の陰で、こんな痛ましい病気が広がってるなんて、ひどい話だよ……。」
  • 【武蔵】「(眉をひそめる)公害問題ってのは、地方だけかと思ってたが……東京も他人事じゃないんだな。うちの商店だって、工場製品に頼ってるから偉そうには言えんが……。」

そこへ三田村が銀行の制服でやって来る。いつもの元気な表情がやや曇り気味だ。

  • 【三田村】「杉山さん、ご無沙汰です。実は、取引先の大企業から『公害対策費がかさむから融資を』なんて話が出始めました。最近、訴訟(裁判)を起こされた企業もあるらしくて……。」
  • 【里江】「裁判まで……。被害を受けた人たちが声を上げ始めたのね。どんなに経済が成長しても、健康を害するんじゃ本末転倒だわ。」
  • 【三田村】「(神妙に)そうなんです。銀行としても企業の成長が大事だけど、これ以上被害が広がるのは困る。世の中が『公害をどうするか』って方向に動き出した感じがしますね。」

車や工場の煙突が増え、街が豊かになる一方で、「公害」という深刻な問題が無視できない段階に来ていた。杉山一家も、漠然と「このままじゃいけない」と胸騒ぎを覚える。


シーン2.学生運動と若者文化の台頭

【情景描写】
同じ頃、大学生を中心にした若者たちの間では、社会運動の熱が高まっていた。街の電柱や壁には「反戦」「公害反対」「安保闘争」と書かれたビラが貼られ、フォークソングやロックといった新しい音楽が若者を魅了している。

杉山商店の店先でも、ラジオからフォークソングが流れ、拓郎は雑誌やレコードを眺めては時代の息吹を感じ取っている。

【会話】

  • 【拓郎】「この曲、今流行ってるフォークソングなんだ。歌詞の内容が社会を批判してて、同世代の連中から支持を集めてるんだってさ。」
  • 【武蔵】「ふーん、俺にはよくわからんけど、あんまり騒がしい音楽は得意じゃないな……。お前さんは、そういう運動に首を突っ込んだりしないだろうな?」
  • 【拓郎】「(ちょっと反発気味に)父ちゃん、別に騒ぐだけが目的じゃないよ。僕らの世代は、ベトナム戦争とか安保条約とかをちゃんと考えたいんだ。世界で起こってることを他人事にしたくないっていうか……。」
  • 【里江】「(少し心配そうに)でも大学生がキャンパスを占拠したとか、警察との衝突でケガ人が出たとか、ニュースで聞くと胸が痛むわね。平和に話し合えればいいのに……。」

そのとき、ちょうどフランク・ジョンソンが店を訪れる。アメリカ本土でもベトナム反戦運動が広まっているという。

  • 【フランク】「ハロー、コンニチハ。アメリカでも若者ガ『ノーモアウォー(No more war)』ト叫ビ、デモ行進シテマス。日本ノ学生運動モ、ソレト同時期ニ盛リ上ガッテルネ。」
  • 【拓郎】「やっぱり世界中で戦争反対を言う若者が増えてるんですね……。日本も公害や安保の問題でデモが起きてる。僕らの声がちゃんと届くといいんだけど……。」
  • 【武蔵】「(複雑な表情)戦争なんてもう二度とごめんだが、暴力的なデモも困るよな……。若いやつらが熱いのはわかるが……。」

音楽と運動が結びつき、若者たちが新しい価値観を求めて動き始めた時代。拓郎は社会への疑問を抱きながら、行動する同世代の友人たちをどこか眩しく感じていた。

大人たちはそんな若者たちの行動に戸惑いつつも、どう向き合うべきか迷い始めている――それが街の空気に滲み出ていた。


シーン3.変わりゆく社会への目覚め

【情景描写】
公害問題や学生運動が社会全体を揺るがし始める中、政府や自治体も重い腰を上げ、公害防止法などの施策を少しずつ整備するようになる。1960年代後半から1970年前後にかけて、新聞の見出しには「公害対策」「反戦運動」「若者文化」の話題が交互に並び、時代の大きな転換期を感じさせる。

杉山商店でも、公害に苦しむ地方の特産品の仕入れが滞ったり、若者向けの雑誌や音楽の売れ行きが伸びたりするなど、変化を体感していた。

【会話】

  • 【里江】「(配達された新聞を見ながら)ほら、これ……公害防止法の制定が近いって書いてある。四日市だとか水俣だとか、ずっと泣き寝入りだった人が少しは救われるかも……。」
  • 【武蔵】「(うなずきながら)まったく遅いくらいだよ。経済成長のためって言いながら、人の命や健康を犠牲にしていいはずがない。俺たちも商売人として、どういうメーカーの製品を扱うか考えないとな……。」
  • 【拓郎】「(関心を示し)父ちゃんがそんなこと言うなんて意外だよ。今までは『経済成長万歳』って感じだったのに……。」
  • 【武蔵】「(ちょっと照れくさそうに)いや、新聞やテレビの報道を見てたら、考えさせられたんだ。昔はモノが足りなくて苦労したからこそ、豊かな世の中はありがたいと思ってたけど……人が苦しむ豊かさなんて、喜んでちゃダメだろう。」
  • 【里江】「最近、近所のおばさんたちとも『公害や戦争のない暮らしって何だろう』って話すの。政治や社会運動なんて、若い人だけのものだと思ってたけど、私たちにも関係あるのね。」

そこへ、三田村がやって来る。銀行の取り組みとして「公害対策に積極的に取り組む企業を優遇する融資枠」を検討しているという。これが新しい社会的責任(CSR)の一部だと説明する。

  • 【三田村】「世間の目が厳しくなってきたので、企業も公害対策を強化せざるを得ないんです。僕たち銀行も、その動きを支えることで利益を出しつつ、社会貢献もしようというわけで……。」
  • 【拓郎】「(目を輝かせ)おお、なんだかカッコいい話じゃないですか。『企業の社会的責任』ってやつですよね?」
  • 【武蔵】「(少し感心して)ふむ……時代が変わったんだな。金儲けだけじゃ立ち行かなくなるなんて、いいことじゃないか。」

こうして、公害反対や反戦を叫ぶ若者だけでなく、大人たちや企業、行政も少しずつ「豊かさのあり方」を見直し始める。

街の空気は騒がしく、意見の対立も絶えないが、そのすべては「よりよい社会」を探すためのプロセスだと信じたい――杉山一家もまた、時代の潮流に巻き込まれながら、未来を考え始めている。


エピローグ

高度経済成長のまぶしい光は、人々に豊かな生活をもたらした一方で、公害や社会運動という影をも際立たせた。車が増え、電化製品が普及し、都市が華やかになる一方で、環境破壊や若年層との価値観の差など、これまでになかった課題が表面化していく。

「本当に大切なのは何か」「成長だけが答えなのか」――そんな問いを抱き始める人々の姿が、次の時代の改革や調整へとつながっていく。やがてオイルショック(1973年)を迎えることで日本経済は転換期を迎え、世界との関わりも大きく変化していくことになる。

しかし、その前に芽生え始めた「環境問題への意識」や「若者による社会批判」は、現代にもつながる大きな一歩だった――杉山一家の目に映る下町の風景もまた、急激な変化のただ中にあった。


あとがき

エピソード6では、高度経済成長期の「光」と「影」を象徴する公害問題や学生運動・若者文化の台頭を描きました。経済が飛躍的に成長すればするほど、環境破壊や社会的なひずみが生まれるのは、歴史が教えてくれる大きな教訓です。

中学3年生の皆さんには、当時の若者たちが「現状を変えたい」と声を上げ、社会全体がそれに応える形で公害対策や制度改革に動き出したことを知ってほしいと思います。経済や政治は大人のもの、と思いがちですが、若者の声が社会を大きく動かした例は少なくありません。また、公害問題のように「便利さ」と「環境破壊」は表裏一体であるという点にも気づいてください。

次のエピソードでは、1970年代に起こったオイルショックや、その後の安定成長期へと移行する日本を取り上げます。戦後からの急激な成長を見直し、国際化がさらに進む社会で、人々がどのように暮らしのかたちを変えていったのか――そこには今の時代にも通じる多くのヒントがあります。ぜひ、続きもお楽しみに。


用語集(歴史を学ぶうえで重要な用語の解説)

  • 四大公害病(よんだいこうがいびょう)
    日本で深刻化した4つの公害病の総称。イタイイタイ病(富山県)、水俣病(熊本県)、新潟水俣病(新潟県)、四日市ぜんそく(三重県)が代表例。いずれも工場排水や排煙などの公害が原因。
  • 学生運動(がくせいうんどう)
    1960年代後半に大学生を中心に活発化した政治・社会運動。反戦運動(ベトナム戦争への反対)や安保闘争、大学改革運動など多岐にわたり、若者文化の象徴的存在となった。
  • フォークソング・ロック
    1960年代に世界的に流行した音楽ジャンル。政治や社会へのメッセージが歌詞に込められることも多く、日本でも若者の間で大きな影響力を持った。
  • 安保闘争(あんぽとうそう)
    日米安全保障条約の改定に反対する大規模な運動。1960年と1970年に大きな盛り上がりを見せ、多くの学生や労働者がデモに参加した。
  • 公害防止法(こうがいぼうしほう)
    1967年に制定された公害対策の基本法。大気汚染、水質汚染、騒音などの防止を目的として規制を強化し、行政や企業の責任を明確化するきっかけとなった。
  • CSR(企業の社会的責任 / Corporate Social Responsibility)
    企業が利益追求だけでなく、環境・社会への責任を果たし、ステークホルダー(利害関係者)との調和を図ること。近年の公害や環境問題のきっかけの一つとして、こうした考え方が重視されるようになった。

参考資料

  • 中学校社会(歴史的分野)教科書(各社)
  • 『公害の政治史―高度成長の時代と住民運動―』(藤村正之 ほか)
  • NHK アーカイブス(公害問題・学生運動関連映像)
  • 新聞・雑誌アーカイブ(1960〜70年代の社会運動報道)

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