全体構成案(シーン概要)
- シーン1:「オイルショックの衝撃」
- 1973年の第1次石油危機(オイルショック)により、日本国内で物価が急騰。トイレットペーパーの買い占めなど社会的混乱が起こる。高度経済成長を当たり前のように享受していた杉山一家や商店街にも、その影響が直接襲いかかる。
- シーン2:「政治の動揺と列島改造ブーム」
- 田中角栄内閣の「日本列島改造論」が打ち上げられ、地方都市への開発投資が盛んになるが、急激な投資がインフレを助長し、オイルショックと重なって経済は混乱。銀行員の三田村や商店を営む杉山一家を通して、列島改造の恩恵と問題を描く。
- シーン3:「安定成長への移行と国際化」
- オイルショック後、日本経済は高度成長から安定成長へ移行。田中角栄の退陣、大平正芳・鈴木善幸・中曽根康弘らの政権が続く中、国際社会との関わりがさらに深まる。石油危機で見直された省エネ・技術革新の芽が花開き始め、杉山一家も「これからの日本」を模索していく。
- エピローグ(短いまとめ)
- オイルショックがもたらした転換点を振り返り、次のエピソード(バブル経済へ向かう日本)への伏線を示す。
登場人物紹介
- 杉山商店一家
- 杉山 武蔵(すぎやま むさし):60代半ば。高度成長の恩恵で商店経営が軌道に乗っていたが、オイルショックによる物価高と不況の波に戸惑う。
- 杉山 里江(さとえ):50代後半。物価の急上昇や買い占め騒動に振り回されながらも、家族と地域コミュニティの安定を優先して踏ん張る。
- 杉山 拓郎(たくろう):30代半ば。若者文化や社会運動を経験しながらも、現在は自分なりに働いて生活している。将来への期待と不安を抱えつつ、転換期の日本を冷静に見つめている。
- 三田村 銀之助(みたむら ぎんのすけ):50代。銀行員。列島改造論やオイルショックの影響で金融業界も混乱し、地方開発ブームとその反動に振り回される。
- フランク・ジョンソン(アメリカ人):日本に駐在する民間企業社員。日米間の貿易摩擦などの話題にも敏感で、国際化に揺れる日本企業を客観的に見つめる。
- 近所の人々、街の住民:買い占め騒動や値上げに翻弄されながらも、国全体の変化に一喜一憂する。
本編
シーン1.オイルショックの衝撃
【情景描写】
1973年秋。東京の下町は、いつものように活気があるように見えるが、新聞の一面には「原油価格の高騰」「中東戦争の影響で石油輸出国機構(OPEC)値上げ」など不穏な見出しが躍っている。杉山商店では、商品の仕入れ価格が日に日に上昇し、武蔵が帳簿を見つめて頭を抱えていた。
【会話】
- 【武蔵】「(計算機をたたきながら)また値上がりか……仕入れ先からも『すみません、原材料費が高騰してまして』って連絡ばっかりだ。どれだけ値上げすればいいんだ……。」
- 【里江】「(落ち着かない様子で)お客さんからは『なんでこんなに急に高くなるの』って苦情が出てるわ。うちも安く仕入れられないんだから仕方ないけど……困ったわねぇ。」
- 【拓郎】「(テレビのニュースを見ながら)中東の産油国が石油を制限したせいで、世界中が大混乱だって。ガソリンスタンドに車の行列ができてる映像、さっき映ってたよ。」
そのとき、隣の奥さんが駆け込んでくる。顔には焦りの色が見え、息を切らしている。
- 【隣の奥さん】「ちょっと杉山さん! スーパーに行ったらトイレットペーパーが品切れで、みんなが何軒も回ってるらしいのよ。噂だと、『そのうち紙類が全部なくなる』って言われて……。」
- 【里江】「えっ、そんな……トイレットペーパーまで? うちの在庫も残りわずかよ。どうしよう……。」
- 【武蔵】「なんだか買い占め騒動になってるって聞いてたが、まさかこんな下町まで……。参ったな、完全にパニックじゃないか。」
商店の外には、トイレットペーパーを求めて右往左往する人の姿がちらほら。いつもとは違う張り詰めた空気が漂い、高度経済成長で得られた豊かさが一瞬で脅かされたような不安が広がる。
テレビのニュースでも「オイルショック」の言葉が飛び交い、人々は「どうしてこんなことに」と戸惑いを隠せない。
シーン2.政治の動揺と列島改造ブーム
【情景描写】
オイルショックの少し前、田中角栄首相が唱えた「日本列島改造論」は、「日本全国を高速道路や新幹線で結び、大都市と地方の格差を是正する」という触れ込みで社会を熱狂させた。しかし、急激な公共事業の拡大や開発ブームは土地や建設資材の価格を急上昇させ、オイルショックと重なって激しいインフレを引き起こす。
銀行も地方への融資を増やし、三田村も忙しそうに各地の投資計画と格闘している。そんな三田村が、久しぶりに杉山家を訪れる。
【会話】
- 【三田村】「(汗を拭きながら)杉山さん、ご無沙汰です。実はうちの銀行が列島改造に便乗して、地方への投資を積極的にやってたんですが……ここにきてオイルショックで予想外のインフレに見舞われましてね。」
- 【武蔵】「(心配そうに)大丈夫か? ここ数年、銀行の儲けも大きかったんだろうが……こういうときって負債が大きくなるんじゃないのか?」
- 【三田村】「(困り顔で)そうなんです。田中角栄さんの人気も急激に落ち始めて、政局もグラグラしてるし。開発計画に乗ったものの、資材価格や地価が高騰して、建設が進まない地域もあって……正直、混乱してます。」
- 【拓郎】「(新聞を広げながら)『狂乱物価』っていう言葉が出てきてる。政治家もマスコミも、オイルショックの対応に追われて大混乱らしいよ。」
- 【里江】「私たち庶民は買い占め騒動や値上げで頭がいっぱい……政治や大企業の動きも気になるけど、自分たちの生活を守るだけで精一杯だわ。」
ラジオからは「今日の東京株式市場は乱高下」「政府は緊急対策を検討中」というニュースが流れる。田中角栄のカリスマ性で始まった列島改造論も、オイルショックという世界的な波に打ち消されるように、その輝きを失いつつあった。
武蔵は店の値札を一つずつ貼り替えながら、「このままじゃ客が離れかねない」とぼやき、里江も「仕入れ価格が落ち着いてくれればいいんだけど……」と不安をこぼす。
国中が目まぐるしく価格改定や投資計画の修正を迫られる中、経済は「成長」を続けるのではなく、一度立ち止まって「安定」へ移行する道を模索し始めていた。
シーン3.安定成長への移行と国際化
【情景描写】
オイルショック以降、日本の景気は一時的に落ち込みを見せるが、その後は省エネルギー技術や生産効率の改善で、「安定成長期」へと移行していく。田中角栄が退陣した後、大平正芳・鈴木善幸・中曽根康弘らの政権が続き、政治も安定志向に傾く。
1970年代後半から80年代初めにかけて、各企業は省エネや輸出産業の競争力強化に注力し始める。自動車や家電の海外輸出が伸び、日米貿易摩擦など国際問題も浮上してくる。
杉山商店の店内では、オイルショックの混乱が少し落ち着き、商品価格も若干安定傾向にある。拓郎がフランク・ジョンソンと談笑しながら、輸出産業の話題をしている。
【会話】
- 【拓郎】「フランクさん、最近アメリカで日本車が売れてるって聞きました。こっちじゃ『輸出が伸びるのはいいことだ』ってニュースで盛んに言ってますよ。」
- 【フランク】「(うなずきながら)Yes、確カニ日本車ハ経済的デ評判ガ高イデス。デモ、アメリカノ自動車業界ハ『日本ガ安ク輸出シテ市場ヲ奪ウ』ト批判モシテイマス……貿易摩擦ノ火種カモ。」
- 【武蔵】「(顔をしかめて)また摩擦か……日本は原油が取れないから、海外から輸入した石油をいかに効率よく使うかで踏ん張ってるんだよな。オイルショックを経験して、省エネ技術も進んだって聞くし。」
- 【里江】「でも、国際化が進むのはいいことじゃない? 高度成長の頃みたいに『作れば売れる』だけじゃなくて、世界とちゃんと調整しながら、無理なく成長していければ……。」
- 【三田村】「銀行としても、輸出企業への融資がこれからの稼ぎ頭になってきそうです。かつての列島改造のような内需拡大一辺倒じゃなくて、外需(海外市場)ともうまく付き合わないと。」
- 【拓郎】「なるほど……日本って結局、資源を海外から輸入して製品にして輸出する国だから、国際社会とは切り離せないんだね。オイルショックみたいなことがまた起こったら、どうするんだろう……。」
武蔵が静かに頷く。「災い転じて福となす」という言葉のとおり、オイルショックは日本経済に痛手を与えたものの、それがきっかけで省エネや技術革新が進み、安定成長へと軌道修正する契機にもなった。
買い占め騒動や狂乱物価の記憶はまだ生々しいが、それを乗り越えた人々の中には「一度立ち止まって考えることの大切さ」を学んだ者もいる。杉山一家は、激動の時代を生き抜きながら、「成長」だけではなく「安定した暮らし」と「国際社会との共存」という新しい目標を胸に抱き始める。
エピローグ
1970年代初頭に訪れたオイルショックは、日本人の意識を大きく変える出来事となった。それまでの高度経済成長を当然視してきた社会は、突如として「資源は無限ではない」「物価高で暮らしは簡単に不安定になる」という現実に直面したのである。
政治的にも経済的にも混乱した時期ではあったが、省エネルギー技術の発達や生産構造の見直しを促すきっかけとなり、結果として日本は「安定成長」へと舵を切る。輸出産業が世界に進出し、日米貿易摩擦など新たな課題も生まれたが、国際化が加速する中で日本の存在感は一層高まっていった。
杉山一家にとっても、オイルショックは「経営の危機」として厳しい試練だったが、家族で協力し合い、商店を支え、社会の変化とどう折り合いをつけるかを学ぶ機会となった。次の時代には、やがて「バブル景気」という新たな局面が待ち受けるが――それはまた、別の光と影をもたらすことになる。
あとがき
エピソード7では、1973年の石油危機(オイルショック)を中心に、日本が高度経済成長を終えて「安定成長期」へと移行する過程を描きました。買い占め騒動や狂乱物価のような混乱を経て、人々は初めて「成長至上主義」の危うさに気づき、資源の有限性と国際情勢の影響を痛感します。
「オイルショック」は聞いたことはあっても、身近に感じられないかもしれません。しかし、私たちの生活は国際社会の動きに大きく左右され、特に日本のように資源を輸入に頼る国では、世界の変化を無視できません。また、この時代に進んだ省エネ技術や産業構造の転換は、今日の日本のものづくりや環境対応にもつながっています。
次回のエピソードでは、1980年代に訪れる「バブル経済」と、その絶頂から崩壊へと至る昭和末期の姿を取り上げます。大量消費や投資ブームが最高潮に達する一方、社会の足元にはどんな危うさが潜んでいたのか――杉山一家の物語を通して、時代の移ろいを一緒に学んでいきましょう。
用語集(歴史を学ぶうえで重要な用語の解説)
- オイルショック(石油危機)
1973年(第1次)・1979年(第2次)に起こった、原油価格の急激な高騰。産油国(OPEC)の政策や中東戦争などの影響で、世界経済が大混乱に陥った。日本ではトイレットペーパー買い占め騒動などが象徴的。 - 狂乱物価(きょうらんぶっか)
オイルショックをきっかけとした著しい物価上昇(インフレーション)を表す言葉。日常生活に必要な商品の価格が一気に上がり、社会不安が広がった。 - 日本列島改造論(にほんれっとうかいぞうろん)
田中角栄首相が1972年に打ち出した経済政策。高速道路や新幹線の整備で全国の都市を結び、地方開発を進めることで国土全体の成長を目指した。しかし、急激な投資がインフレを招き、オイルショックと重なって大きな混乱を引き起こした。 - 安定成長(あんていせいちょう)
高度経済成長期(1950年代後半~1970年代前半)のような年率10%前後の成長ではなく、オイルショック以降は年率数%の緩やかな成長へと移行した時代を指す。エネルギーや産業構造の見直しが進み、国民生活も「品質や生活の質」を重視する方向へ変化した。 - 貿易摩擦(ぼうえきまさつ)
輸出超過・輸入超過などによって、貿易相手国との間に起こる対立。1970年代後半から1980年代には、日本の輸出攻勢(自動車や家電など)にアメリカをはじめ欧米諸国が不満を強め、「ジャパン・バッシング」などが話題となった。 - 省エネルギー技術(しょうエネルギーぎじゅつ)
オイルショックを契機に、資源の乏しい日本がエネルギー消費を効率化するために開発・導入した技術。自動車や家電の燃費・省電力性能の向上、産業用機械の低エネルギー化などが進められた。
参考資料
- 中学校社会(歴史的分野)教科書(各社)
- 『昭和史 1945-1989』(半藤一利 著)
- 政府白書(経済白書など)
- 新聞・雑誌アーカイブ(1970年代の経済・社会ニュース)
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